私の刀歴

 ある人は刀の切れ味から、又ある人は鉄の芸術と言われるあの静かで磨き抜かれた輝きに魅せられて等々この道【刀道】に入られた動機も人それぞれでありましょう。

 私は歴史好きで、日頃読んで居ります歴史物には、その時代の人物と共に必ず刀の話が登場します。歴史は夜作られると良く言われますが、昼間の歴史は刀が作ったと言っても過言ではないでしょう。特に戦乱に次ぐ戦乱の世、中世戦国乱世の時代に在っては特にその観を強く致します。又近世に在っては武器としての使命は終わったものの武士道精神をこの刀に求めたのです。

 その様な折でした。盆正月、家内の実家への挨拶の折には義父自慢の刀剣類の披露がありました。持ってみろ、透かしてみろと熱っぽく語ってくれたものです。解ら無いながらもウンウンと合図地を打って居りましたが、この触れ合いが義父にとっては一番楽しい時間だった様でした。この刀好きの義父も七年前に亡くなりました。

 思っても見なかった事ですが鎌倉末期の短刀、刀などを形見として残して頂いたのです。この事が私を刀の道に入らせる大きな動機と成りました。
以来、日刀保・静岡県支部に入れて頂いたり、仲間達との勉強会に参加したりと言う事で、毎日でも刀に接して居たいと言う日々が始まりました。鑑定会に於いてたまに天位を頂いたりするとエンジンの掛かり様は大変なもので今ではすっかり刀のとりこに成ってしまいました。
 その様な日々の中で、源平合戦の壇ノ浦の戦いの折、安徳天皇と共に、海中深く沈んでしまったあの宝剣【草薙の剣】はその後どうなってしまったのであろうかと言う素朴な疑問がふっと胸をよぎりそれ以来この事が妙に気に掛かり出しました。
刀好きな我々仲間にとって密かに興味の有るものと言えば天皇家の宝剣類【御物】ではないでしょうか。長い皇室の歴史の中で出入りした刀は数多く有るでしょうが、特に三種の神器【鏡・勾玉・宝剣】の内、【草薙の剣】に付いては、特別の興味が有ります。邇邇芸命ににぎのみことによって高天原から天孫降臨を果たしたと言われる神話と現実の歴史とを結び付けるこれらの品々は日本誕生の謎を解き明かす重要な物です。
 特に代々伝えられている宝剣【神器】とはいったい如何なる物であろうか。その一端でも明らかに出来ればと刀剣美術を始め諸処の参考書を調べて見ました。

       ……… この宝剣【神器】については次の様な物語が有りました ………

 

天皇家における宝剣

tensonkourin2【その1】
天叢雲の剣あまのむらくものつるぎ【草薙の剣】(くさなぎのつるぎ)………三種の神器

剣璽渡御けんじおみわたしの儀【践祚せんその儀】すなわち 天皇、皇位継承の儀式に用いられる剣伝承 

【古事記・日本書紀】…神話より

 素盞嗚尊すさのおみこと【天照大神あまてらすおおみかみの弟君】出雲の国、簸ひの川(肥の川)の上流において八岐やまたの大蛇おろち (身一つにして八つの頭と八つの尾を持つ大蛇)を退治する。
そのとき尊の帯びていた剣を【十握とつかの剣つるぎ】と言う。 この剣は又の名を【蛇韓鋤の剣(おろちからさびのつるぎ】とも言い、韓国製の鉄剣の様である。大蛇退治の折、尾を切りつけた処この剣の刃が欠けたと云いさらに尾を切り裂いた処一振りの剣が出て来たという記述がある。

 その大蛇の尾より出て来た剣は天叢雲の剣あまのむらくものつるぎ【2尺7~8寸の青銅剣】と言はれ、姉君である天照大神あまてらすおおみかみに献上しました。【実際には弥生時代末期3世紀頃の物と思われます】以後、この剣は伊勢神宮に奉納され、天皇家に於いては第一の宝刀と成っております。これより以後、三種の神器【天叢雲の剣あまのむらくもつるぎ・八咫やたの鏡・八尺瓊の曲玉やさかにのまがたま】の一つとして代々天皇家に受継がれております。当時は御所内、清涼殿に安置されていた様ですが、現在は吹上ふきあげ御所の御寝所の隣が剣璽けんじの間【剣と曲玉】に当てられ、日々天皇をお守りして居ります。

 ※ 青銅剣…銅と錫の合金製で、紀元前1世紀【弥生時代中期】~紀元後4世紀   【古墳時代前期】まで使用される。

*10代【崇神すじん天皇】……至宝たる天叢雲の剣あまのむらくのもつるぎと同居するのは恐れ多いとして刀鍛冶の祖、

   天目一箇神あめのまひとつのかみの子孫に命じ、この天叢雲の剣あまのむらくものつるぎの模造の剣を作らせる。

*11代【垂仁すいにん天皇】……正真の天叢雲の剣あまのむらくものつるぎと鏡とを伊勢神宮に返還する。

*12代【景行天皇】……皇子である日本武尊やまとたけるのみことは東国の夷えびす平定に向かう。その途次、伊勢に立ち寄り倭やまと姫よりこの剣を授かる。遠征中、駿河の国、草薙【又は焼津と言う説も有り】において敵が野に火を放なつも、この剣にて周囲の草を薙ぎ払い逆に敵を滅ぼしたと言う武勇に因み、以後この剣は【草薙の剣くさなぎつるぎ】と言われる。尊は帰路、伊勢の国能煩野のぼのにて病死。この剣は御神体として熱田神宮に納められる。それ以後、宮中においては先の模造の剣が草薙の剣くさなぎのつるぎに変わって神器と成る。 

*81代【安徳天皇】……寿永2年【1183】7月、平家一門は天皇と三種の神器とを奉じて西海に逃れる。続く文治元年【1185】3月、壇ノ浦における源平合戦において、幼帝、安徳天皇は二位の尼と共に入水。連綿として受け継がれて来たこの神器もこの時、平家の滅亡と共に海中深くに没する。幸いにも鏡と曲玉の二品は回収されたと言う。

*82代【後鳥羽天皇】(尊成親王)……後白河法皇の詔により寿永2年【1183】8月、安徳天皇に代り神器無しの異例の践祚せんその儀を行う。

これに先立ち寿永2年【1183】7月平家一門は安徳天皇と共に西海に逃れる。続く6年【1190】、天皇元服の儀式には【昼御座の剣ひのおましつるぎ】 にてこれを行う。

*83代【土御門天皇】……【昼御座の剣ひのおましのつるぎ】にて践祚せんその儀を代行する。

*84代【順徳天皇】……伊勢神宮より新たに献上された神剣【鉄剣】により践祚せんその儀を行う。以後現在に続く。
以上現在では伊勢神宮より新たに献上された神剣が草薙の剣くさなぎのつるぎとして伝承され、今に伝わっている。従って草薙の剣は熱田神宮、宮中にそれぞれ一振りづつ存在している事になる。この剣が代替品であるとしても伝承を守り又これを受け渡しする事が皇位の継承の拠り所となっている事実を理解したいものである。

以上のように諸説様々に語られどこまでが真実かは解りませんが、【神代の時代】からの説話である神話を無理に辻褄合わせをして現実の歴史にはめ込んで行くという作業は元々無理な事であります。悪魔で物語としてこれを見て行きたいものです。又この辺の事が容認されるのも日本人の皇室に対する敬慕の念の表れでしょう。

【その2】

                 【昼御座の剣ひのおましのつるぎ

 昼御座の剣ひのおましつるぎ……昼の御座ひのおましとは御所、清涼殿内にある平敷の御座の事で天皇の昼間の座所を言う。ここには天皇を守護する為に剣が置かれて居り、これにより昼御座の剣ひのおましのつるぎの名が有るしかし、何度と無く罹災し又盗難に有ったと言う。  

江戸時代以後今日まで豊後行平の太刀が昼御座の剣ひのおましのつるぎとして用いられていると言う。

      豊後行平の太刀【時代…平安末期~鎌倉初期】

      細身・小造りの太刀  地鉄 細美  刃文 丁子心・乱れ刃

 【その3】

                  【壷切の剣つぼきりのつるぎ】      

 

皇子の立太子【皇子が皇太子に成る】に当たって、その験しるしとして天皇から授与される剣。

皇太子地位安定の為、践祚せんその儀の神剣【三種の神器】に習って下されるのがこの剣である。

            

   酒宴の折,この刀で酒壷を断ち切った。その切れ味を愛でてこの名がある。

    法量他…直刀形式 切刃造り    【長さ 2尺1分  反り 1分】

        板目鍛え 刃文 直刃    目釘穴 1個   無銘

*55代、文徳天皇 天安年中【857年~】より藤原良房【時の摂政】に授けられる。

*59代、藤原良房の子基経より宇多天皇に献上される。

*60代、醍醐天皇の立太子 寛平5年【893年】に際し、父君宇多天皇よりこの剣を賜り、これを行う。藤原氏が己の力を知らしめんが為の方策と見られる。

*60代、醍醐天皇の皇子・保明親王の立太子 延喜4年【904年】に際し、親王に授与される。以後現代まで連綿として受け継がれている。                 
*81代、安徳天皇……文治元年【1185】3月、壇ノ浦の源平合戦において二位の尼と共に入水、この時、神器【草薙の剣くさなぎのつるぎ】を失う。

*82代、後鳥羽天皇【尊成親王】……後白河法皇の詔により寿永2年【1183】8月安徳天皇に代り神器無しの異例の践祚せんその儀を行う。続く文治6年【1190】、天皇元服の儀式にはこの昼御座の剣にてこれを行う。

*83代、土御門天皇……【昼御座の剣】にて践祚せんその儀を代行する。

*84代、順徳天皇……伊勢神宮より献上された神剣【鉄剣】により践祚せんその儀を行う。

 以後今日に及ぶ。

天叢雲剣あまのむらくのもつるぎ【草薙の剣くさなぎのつるぎ】……熱田神宮に安置されている。

天叢雲剣あまのむらくのもつるぎの模造の剣……文治元年【1185】壇ノ浦の合戦において幼帝、安徳天皇と共に海中深く没する。

 今日の草薙の剣くさなぎのつるぎ【代替の剣】……84代、順徳天皇以来、今日まで伊勢神宮より献上された神剣【鉄剣】により代々践祚せんその儀が執り行なわれている。以後現在に続く。

昼御座の剣ひのおましのつるぎ、壷切の剣つぼきりのつるぎの二剣は草薙の剣くさなぎのつるぎ共々、皇室に於いては第一の宝剣としての待遇を受けている。又その他多くの宝剣が様々な儀式において使われている。