老い支度

 夢の無い話題で恐縮だが、齢六十を過ぎた頃から、先の事が色々思いやられ、それに備えて身辺整理に真剣に取り組む日々が増えてきた。なかんずく、小生にとって気になることは、五十年来の刀剣趣味を通じて手に入れた、かけがえのない愛刀の行く末である。

 名刀と云えるものはないが、それでも夫々に出会いがあり、「欲しい」と云う気持ちが先走り、夜も眠れない程悩み抜いて、ようやく手にした愛刀もあり、一振り一振りに、一入、愛着を感じている。五十年近い刀剣人生を送るうちに、何時の間にか十数口の愛刀が手許に集まった。

 忘れもしない、蒐集第一号は、学生時代に小遣いで買い求めた「月山」の短刀であった。一見古く見える内反り小振りな姿に、地がねは綾杉肌が目立つ直刃出来の短刀であった。刀剣鑑定の研鑽を重ねて行くなかで、いつしか手許を離れて行ったが、いまだに確りと記憶に留めている。小生にとって、思い出深い愛刀を家族が受け継いでくれるのが最も望ましいのだが、家族と話し合っても、なかなか歯車が咬み合わず、悩みの種であった。

 息子には日本刀に対する関心を深めて貰おうと機会あるごとに、愛刀を手にもたせ、日本の伝統文化の頂点に立つ日本刀の魅力について話して来たものの、興味を引き立たせるまでには至らなかった。小生にはかけがえのない愛刀でも、関心の薄い家族にとって、無理に押し付けられるのは、甚だ迷惑な話で、所詮、愛刀の辿る道は明白である。特に日本刀は普段の管理が大切だけに、家族にとって、日本刀は厄介なものとの先入観が拭えず、気持ちの上で大きな負担を感じるらしい。

 残念ではあるが、刀剣の世界に理解が及ばない家族の重い気持ちを忖度し、次ぎなる愛刀家へバトンタッチすべく、時間を掛けて整理を進めてきた。目下のところ、小生、至って健康で、今、全ての愛刀を手放す気持ちにはとてもなれないので、家族の思いとは関り無く、一振りずつ形見として残すことにした。

 勿論、形見の行く末は夫々家族の判断に委ねるしかないが、そのことで頭を悩ませても詮無い事である。形見として大切にするのも良し、美術館に寄贈するのもよし、刀剣商に二束三文で処分するのもよしではないか。輪廻転生に準じ人生を終える我々にとって、その一生は余にも短い。愛刀と向き合って居られる時間は更に短い。

 多くの愛刀家の名刀と言えども、行く末は手許を離れ夫々に数奇な運命を辿り、次の世代の愛刀家に委ねられることになる。小生の愛刀はどのような数寄者に受け継いで貰えるのだろうか。ものは考えようで、小生も大切な愛刀を先人から受け継ぎ、次の世代の愛刀家にバトンタッチするまで、暫しお預かりしていると思えば、気持ちも少しは穏やかになるのではと思うのだが。まあ! バトンタッチするまでは、手許に残した愛刀をこよなく愛でて、悔いの残らないようにしなくてはと思うこの頃である。そう! 残された時間はない。

迷鑑堂